長岡市では、令和2年度から、渡邉英徳・東京大学大学院教授及び新潟日報社と共同で、戦前から戦後復興期までの白黒写真をAI画像認識と空襲体験者等からの聞き取りによりカラー化する「『空襲から復興へ』AIと証言による白黒写真のカラー化」を実施しています。令和3年度は東京大学2年生の庭田杏珠さんも参加し、当時の生活の様子や時代背景がよくわかる写真を中心にカラー化に取り組みました。
長岡空襲と戦災からの復興を生き抜いた人たちの記憶を呼び覚まし、今を生きる人に戦争や空襲を現実のものとして感じてもらいたい。空襲体験者が持つ心象風景をよりリアルな形で表現することにより、戦前から空襲を経て復興に至る幅広い記憶と体験者の想いが継承することを期待しています。
空襲後の大手通り
撮影時期:昭和20年(1945)8月2日早朝 所蔵:長岡戦災資料館
空襲後の市街地
撮影時期:昭和20年(1945)8月3日 所蔵:長岡戦災資料館
焼け跡での暮らし
撮影時期:昭和20年(1945)8月3日 所蔵:長岡戦災資料館
栖吉町の普済寺を学寮とした松原国民学校児童
撮影時期:昭和19年(1944)から昭和20年(1945)頃 提供:川崎晶子氏
長岡高等女学校生徒の甘藷掘り
撮影時期:昭和16年(1941)から昭和19年(1944)頃 所蔵:新潟県立長岡大手高等学校
昭和22年度 千手小学校2年6組集合写真
撮影時期:昭和22年(1947)7月4日 所蔵:長岡市立千手小学校
柿町の広西寺を学寮とした駒沢国民学校児童
撮影時期:昭和20年(1945)10月下旬頃 所蔵:長岡戦災資料館
表町2丁目の被害状況
撮影時期:昭和20年(1945) 所蔵:長岡戦災資料館
昭和20年11月頃の大手通り
撮影時期:昭和20年(1945)11月頃 所蔵:長岡戦災資料館
新潟県産業博覧会(長岡博)正面切符売場
撮影時期:昭和25年(1950)7・8月頃(7月20日~8月31日の会期中に撮影) 所蔵:長岡市立中央図書館文書資料室
昭和30年の長岡駅前・大手通り
撮影時期:昭和30年(1955) 所蔵:長岡市広報課
出征する清水健治さんを送る家族・親戚
撮影時期:昭和12年(1937) 所蔵:清水誠一氏
父親のお見舞いに行った村松の陸軍病院で撮影された金子家の家族写真
撮影時期:昭和13年(1938) 所蔵:金子登美氏
※ 本写真を公表した令和2年12月時点では、写真タイトルを「父親のお見舞いに行った村松陸軍病院で撮影された金子家の家族写真」としていました。その後、写真をご覧になった方からご指摘があり精査したところ、昭和13年夏時点での病院の名称は「村松陸軍病院」ではなく「新発田陸軍病院臨時村松分院」であることが判明しました。そのため、当ホームページ公開時点から、当写真のタイトルを「父親のお見舞いに行った村松の陸軍病院で撮影された金子家の家族写真」とします。なお、掲載した新聞記事の表記は、記事掲載時のままとしました。
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