最終更新日 2021年3月5日
撮影時期:昭和20年(1945)
所蔵:長岡戦災資料館 カラー化:渡邉英徳
白線を左右に動かすと白黒とカラーを見比べることができます
無差別爆撃 色彩奪う
8月1日の長岡空襲では、米軍のB29爆撃機125機が投下した焼夷(しょうい)弾が約1時間40分にわたって雨のように降り注ぎ、市街地の約8割が焼失した。写真の表町地区は、円形に描かれた爆撃目標地の中心点に近かった。建物は焼け落ち、がれきの山が広がる。着色しても、黒や茶色が目立つ荒涼とした光景だ。
通りにがれきはなく、長袖姿の男性たちが行き来していることから、9~11月と推測される。右奥の塔のある特徴的な建築物は長岡六十九銀行(現北越銀行)。赤れんが造りの建物が焼け残り、左には白壁が剝がれたような土蔵が写っている。
空襲当時、表町地区から1、2キロ離れた所に住んでいた今泉恭子さん(81)によると、住宅跡のがれきは住人が取り除くしかなかったため、犠牲者の住宅などはしばらく片付かなかったという。「自分の気持ちを反映してか、当時の風景は暗かったような印象だ。片付けて疎開先に戻って、を繰り返す日々だった」と苦労を語った。
(新潟日報 令和2年12月6日朝刊13面より)
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