長岡戦災資料館で「長岡空襲の体験を聞く会~最後の軍国少年が語る~」を開催しました。70年前の長岡空襲を、12歳・13歳のときに体験した四郎丸地区の同級生5人が、来場した110人を前に語りました。
桜井修さんは「爆音の中、家から離れなければと必死で走り続けた。飛行機が機体を真っ赤にして飛んでいて、爆弾が連なって落ちるのを見ながら逃げました」と当時の様子を語りました。
鈴木孝さん(左)は「大勢の人が逃げるのが影絵のように見えました。『人に紛れると困るから田んぼ道を行け』と言われ、あぜ道を通って神社の石垣に身を伏せました」と振り返りました。
反町忠夫さん(中央)は「栖吉川に逃げる途中、当時7カ月の妹のミルクを自宅に忘れたことに気付き駅方面に引き返そうとしましたが、たくさんの人の流れの中を逆方向に進むことはできませんでした。翌朝、自宅に戻ったら家は焼けていて、使えるものは何一つありませんでした」。
山谷恒雄さん(3枚目写真右)は「空襲の翌朝、防空壕の前を通ったとき、中で一組の母親と子どもが抱き合って眠るように動かなくなっているのを見たことが忘れられません。おそらく窒息したんだろうと思います」と、ご自身が描いた体験画を紹介しながら語りました。
清水誠一さんは、平和学習の取り組みで聞きに来ていた南中学校の生徒たちを前に「私たちが子どもの頃は、お国のために命をささげることが何よりも名誉なことでした。みなさんは私たちのような軍国少年にはならないようにしてください」と次世代へメッセージを伝えました。
長岡戦災資料館で開催中の長岡空襲体験画展は、展示作品を入れ替え、空襲後の長岡をテーマに30点の市民の体験画を展示しています。悲劇を繰り返さないため、当時の体験を知り、次世代へ伝えていきましょう。(T)
このページの担当