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「米百俵プレイス ミライエ長岡」息づく歴史

最終更新日 2023年6月30日

まちづくりの原点となった地

「米百俵プレイス ミライエ長岡」の建設される地は、明治3年(1870)6月15日に移転・開校した国漢学校の跡地という歴史的な場所です。戊辰戦争後の長岡藩は、学校・武場(国漢学校)、政事堂(役所)、藩主牧野氏の住居をこの地に一体的に整備し、近代的なまちづくりの原点としました。その後、明治・大正期には市役所・銀行などが建設され、戦後には現代アートの先駆けとなった「長岡現代美術館」や商工会議所などが立地し、産業や文化の振興拠点としても発展してきました。

国漢学校と米百俵の精神

「小川当知「懐旧雑誌」挿絵」の画像
▲小川当知「懐旧雑誌」挿絵
明治初期の大手通り(左上への道が
長岡駅に至る)の様子が描かれている。
左下の建物が国漢学校

戊辰戦争からの復興をめざす長岡藩に、三根山藩から救援米が送られました。大参事の小林虎三郎は届いた米を活用し、国漢学校の開校資金に充てました。
明治2年(1869)5月、昌福寺(四郎丸)の一室を借りて開設された国漢学校は、翌年6月15日にこの地に移転・開校しました。漢学に加えて、洋学、医学などの多様な学問を、藩士だけでなく、町人、農民の分け隔てなく学ぶことができる学校が生まれたのです。
国漢学校の流れをくむ長岡の教育によって、様々な分野の最前線で活躍し、現代につながる功績を残した人材が輩出しました。

互尊文庫の理念

「初代互尊文庫」の画像
▲大正7年(1918)に東坂之上町に
開館した初代互尊文庫

野本恭八郎は実業の教育こそ、郷土発展の最善の道であると構想し、産業人の修養の場として、互尊文庫(市立図書館)を市に寄付しました。法律や経営など産業分野や教養本を収集し、人生を有意義に過ごすための知識・教育を取得するために多くの市民が訪れました。
多くの産業人が集まる談話室が設置され、偶然の話し合いが長岡の産業に新しい力を与えました。
互尊文庫で生まれる新しい価値の創造が、近代都市長岡のまちづくりを支えました。

このページの担当

ミライエ長岡企画推進室 企画担当
〒940-0062 新潟県長岡市大手通2-3-10(米百俵プレイス ミライエ長岡)
TEL:0258-86-6008  FAX:0258-86-6073

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