最終更新日 2020年3月25日
シティホールプラザ「アオーレ長岡」は、JR長岡駅前に位置し、建設地の旧厚生会館跡地は歴史的にも由緒ある場所です。かつてこの場所に城を構えていた長岡藩は、領主と領民の垣根が低く、両者が一体となって藩を盛り立てていました。いわば、「市民協働」の先駆けともいえる長岡藩の精神は、河井継之助の藩政改革、小林虎三郎の米百俵の精神などに連綿と受け継がれ、現在も続いています。
シティホールプラザ「アオーレ長岡」は、この精神を建物全体で表現した現在のシンボルとなる施設であり、設計は、日本を代表する建築家の隈研吾さんによるものです。
コンセプトは、生活の温もりと人々のにぎわいにあふれた
「まちの“中土間(ナカドマ)”」。
あらゆる世代の多様で自発的な活動を実現する場として、また、市民活動の「ハレの場」として、誰もが憩い集う『市民交流の拠点』です。
ナカドマをはじめ、アオーレ長岡の施設は、皆さんの自由なアイデアで使い方が無限に膨らみます。
また、身近な手続きを集約した市役所の総合窓口を1階に集約し、日本一のサービスを目指します。
新たに配置する市役所コンシェルジュは市民のさまざまな声に応えます。
――人が出会い、交流が生まれ、絆が深まる場。
新しい長岡の顔、協働と交流の拠点・アオーレ長岡。――
JR長岡駅と大手スカイデッキで直結した“にぎわいの新空間”を、是非、ご活用ください。
1605(慶長10)年 | 長岡築城が始まる |
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1618(元和4)年 | 牧野忠成が初代藩主となる |
1868(慶応4)年 | 戊辰戦争で町(城)を焼く |
1870(明治3)年 | 米百俵の故事が起こる |
1921(大正10)年 | 宝田公園ができる |
1926(大正15)年 | 長岡市公会堂ができる |
1945(昭和20)年 | 長岡空襲をうける |
1958(昭和33)年 | 厚生会館ができる |
1970(昭和45)年 | セントラルパークができる |
2004(平成16)年 | 新潟県中越大震災発生 |
2012(平成24)年 | アオーレ長岡ができる |
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