最終更新日 2024年12月27日
夏休み企画事業を開催しました(掲載日R6.8.15)
8月10日(土)、今年も夏休み企画事業として「戦災資料館に行ってみよう~みんなで学ぶ長岡空襲~」と「長岡空襲史跡巡り」を開催しました。
午前中に実施した「戦災資料館に行ってみよう~みんなで学ぶ長岡空襲~」は、多くの子どもたちから当館に足を運んでもらうとともに、夏休みの自由研究などにも生かしてもらう目的で平成26年から実施しており、現在は子どもだけではなく大人も参加できる夏の企画事業となりました。今年は9名の方が参加。当館職員による館内資料の説明や、長岡市立南地域図書館の職員による空襲関連図書の紹介、当館運営ボランティアである石塚久枝さんによる長岡空襲紙芝居「みちこのいのち」の公演を行い、参加者は真剣な眼差しで聞いていました。
午後から実施した「長岡空襲史跡巡り」は、市内の長岡空襲関連史跡をバスで巡る催しで、今年は12名の方が参加しました。模擬原子爆弾投下地点跡地の碑や、平潟神社の戦災殉難者慰霊塔、長岡空襲爆撃中心点の碑など計6か所を巡った後、当館に戻り館内の見学をしました。
講師である当館アドバイザー星貴氏による各史跡の詳細な説明に、参加者は熱心に耳を傾け、有意義な時間を過ごしました。
本催しをきっかけに、参加者の方々が長岡空襲について理解を深め、戦争の恐ろしさ、平和の尊さについて考え続けてくださることを願っています。
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長岡空襲解説講座を開催しました(掲載日R6.7.22)
長岡空襲を多くの方に理解を深めてもらうため毎年開催している長岡空襲解説講座。今年は左近に模擬原子爆弾が投下された日と同じ7月20日の開催となりました。
当館のアドバイザーで、米軍資料の研究者でもある星貴氏を講師に、16名の方が参加。講師の研究に基づく詳細な説明や、昨年開催した長岡戦災資料館開館20周年記念特別展の記念講話で話した戦災写真の検証結果について、興味深く聞き入っていました。
第15回長岡空襲殉難者追慕の集いを開催しました(掲載日R6.7.8)
7月7日(日)、当館3階学習室で「長岡空襲殉難者追慕の集い」を開催しました。今年で15回目を迎え、70人の方から御来場をいただきました。
会場には366名の遺影を展示し、長岡空襲で亡くなられた方々を偲びました。
本集いでは、曽山良治さんから御家族を偲んでのお話をいただきました。当時3歳だった曽山さんは、両親と兄、弟と5人で本町の旧北越銀行本店近くで暮らしており、父は豆腐店を営みながら、市内の軍需工場で働いていました。8月1日の空襲当日、一家は母の故郷である現在の十日町市下条村に疎開しましたが、お店を心配した父は、家族を送りとどけた後、長岡へ戻っていきました。その夜、母が疎開先のご近所の方から呼ばれ、長岡の方向の空が空襲で赤くなっているのを見たそうです。それから数日が経てども父からの連絡はなく、数人で探しに行った先で遺体で見つかりました。長岡空襲の数週間前には、幼い弟をはしかで亡くしており、立て続けに二人の家族を失いました。戦後は兄と自分を育てるために母が一生懸命に働き、御自分も中学校の卒業後は農作業を手伝う代わりに農家に寝泊まりさせてもらうなど、苦しい生活を送ったこともあるそうです。そのような経験から、平和を守るためには次の世代の子どもたちを育てる必要があると、犯罪歴のある未成年の更正を支援するボランティアを40年以上続けてきました。「戦後の苦しい時代をたくさんの人に支えてもらった。その恩返しを今の時代にしているつもり。自分なりの平和貢献です。」とお話しされました。
そして、長岡少年少女合唱団が追慕の合唱を披露し、最後に会場にいる皆さんで「ふるさと」を合唱しました。
また、この日から「長岡空襲殉難者遺影展・戦災住宅焼失地図展」を開催。366名分の遺影と、当館運営ボランティアが作成した戦災住宅焼失地図を展示しました。
当館では、引き続き殉難者の方の写真を探しています。心当たりがありましたら、御連絡くださいますようお願いします。
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第2回長岡空襲の体験を聞く会を開催しました(掲載日R6.6.24)
6月22日(土)、今年度2回目の「長岡空襲の体験を聞く会」を開催し、60名の方が参加されました。
今回は古塩正一さんから体験講話をしていただきました。古塩さんは当時7歳。前川国民学校の2年生でした。7月20日の登校後、朝礼の時間にガラガラとすごい音が鳴り、窓ガラスは割れなかったものの木造の運動場が大きく揺れたそうです。授業どころではなくなり、その日は全員下校となったということです。左近から4キロメートルほど離れた田んぼで農作業中だった母は、何があったかわからないけど、すごい砂煙が上がっていたと話したそうです。8月1日の夜、蚊帳に入ってしばらくすると空襲警報が鳴り、宮内のサフラン酒のあたりが燃えているのが見えました。逃げる道中、火葬場の近くで5人くらいうずくまっているお婆さんがいて、ここなら誰かが骨を拾ってくれるからここで死ぬと言っていたと、印象に残った光景をお話しされました。古塩さん一家は無事に逃げることができましたが、親戚の叔母の母親が長生橋を渡って逃げる際に焼夷弾が直撃し、すぐに医者に診てもらったものの亡くなったそうです。古塩さんは「戦争は命を奪う。何も良いことはない。戦争を起こさないために、自分の考えを持ってできないことはできないと言える世の中にしないといけない。」と参加者に伝えました。
続いて、朗読家・加藤博久さんから故新井淳夫さんの空襲体験談と、児童文学「おかあさんの木」の朗読をしていただきました。新井さんの体験談の朗読では、加藤さんの迫力ある感情が込められた朗読に来場者も涙ぐみながら聞き入っていました。「おかあさんの木」の朗読では、細山田昌子さんによるピアノの演奏と相まった情感あふれる朗読劇の世界に引き込まれました。加藤さんは「平和のために自分にできることとして、朗読をとおして皆さんの情緒に訴えかけていく活動をこれからも続けていきたい。」とお話しされました。
当館では、これからも朗読や紙芝居といった新たな伝承方法も活用しながら、次の世代に戦争の悲惨さや平和の尊さを伝え続けていきます。
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第1回長岡空襲の体験を聞く会を開催しました(掲載日R6.5.27)
5月18日(土)、今年度1回目の「長岡空襲の体験を聞く会」を開催し、市立南中学校の生徒を含む40人が空襲体験者の語りに耳を傾けました。
今回は、当時7歳だった伊丹功さんと、11歳だった土田ミヨさんからお話しいただきました。
伊丹さんは当時、旧制神田国民学校の1年生でした。当時、実家が洋品店を営んでおり、新品の衣類の仕入れはなく、古着を仕入れて販売していたことや雑貨も販売していたことなど、当時の様子をお話しされたほか、「防空壕の歌」を披露しました。長岡空襲の際には、簡素な造りだった家の防空壕には入らず、中島方面から水道町へ逃げ、その道中の小川で足が滑って靴が脱げましたが、それでも必死に逃げたそうです。後にその状況を体験画として描かれました。また、B29の翼に燃え盛る炎がキラキラと反射してきれいだと思ったが、周囲が明るく照らされて恐怖を感じたこと、浦瀬から悠久山までがサーチライトの光で照らされているのを見て日本軍が助けに来てくれたと思い、米軍にやり返したいと思った心情などもお話しされました。伊丹さんは市民写生会の実行委員会にも所属しており、当館にも体験画を寄贈してくださっていますが、体験画を描こうと思ったのは、長岡市政100周年事業として実施した体験画の募集を見たことがきっかけだったそうです。
土田さんは当時、旧制四郎丸国民学校の6年生でした。母とともに本家で生活をしており、長岡空襲の際は、母に起こされて山の上のお寺に向かって田んぼの畦道を逃げました。道中、近くに焼夷弾が落ちたときには、鼓膜が破れたり目玉が飛び出るのを防ぐため、親指を耳に入れ、残りの指で目を押さえ、学校で習ったとおりに行動しました。着いた先の柿の村で長岡方面を見ると、建物が燃えて朽ちたことで長生橋が大きく見えたとのことです。8月15日に玉音放送を聞いたときには、悔しさや悲しさといった感情は何も湧かなかったそうです。今回の土田さんのお話では空襲後の生活についても触れ、学校が始まり疎開先にある旧制上組国民学校に通うことができたが、被害の大きかった四郎丸地区の自分が通うことは惨めな気がして、通学距離は遠くなるけれど元々通っていた旧制四郎丸国民学校に通ったという、子どもながらに複雑な気持ちを感じたことをお話しされました。
おふたりとも、今こうして生きていることに感謝している。戦争は絶対にしてはいけないと訴えました。
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また、今回は当館運営ボランティアである今井和江さんから長岡空襲紙芝居「みちこのいのち」を上演していただきました。今井さんの感情が込められた臨場感あふれる演技に、目頭を押さえる参加者もいました。
今年度2回目の「長岡空襲の体験を聞く会」は、6月22日(土)午後1時30分から開催します。参加は無料、事前の申込みは不要です。当時の体験談を聞ける貴重な機会ですので、ぜひお越しください。
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