第5回 成功!ビール国産化
苦労の末に北海道でビール醸造所を建設した中川清兵衛ですが、肝心のビール造りは不運が続いて満足な出来とはなりません。
外国人に高評価
明治十(1877)年七月、清兵衛に嬉しい知らせがありました。函館でビールを外国船に試験販売したところ、大好評の内に完売し、もっと売ってくれとせがまれるほどであったのです。
翌年に評価を依頼された札幌農学校教師のデビッド・ペンハローは<苦味ハ優レタリ><芳香ハ最モ快愉ナリ>と高い評価を与えました。また、東京医学校講師オスカー・コルシェルトも<日本醸造冷製麦酒之完全致候モノ>と賞賛しています。
大森貝塚を発見したことで有名な博物学者エドワード・モースも、その著書の中で以下のように記しています。
<札幌は速やかに生長しつつある都邑である。ラーガア麦酒の醸造場が一つあって(中略)最上の麦酒を瓶詰にしている>
清兵衛のドイツ仕込みの醸造技術は、ビールを良く知る外国人たちに「最上」だといち早く認められたのです。
札幌冷製麦酒の発売
明治十(1877)年九月、ついに東京で「札幌冷製麦酒」が発売され、美味しいと評判になりました。価格は大瓶一本十六銭。今日に換算すると四千円くらいです。ビールは高級品だったのです。
商品名の「冷製」とは、ドイツ流の醸造法の特徴である低温醸造と低温熟成を意味していますが、よく冷えて美味しそうに感じられます。
ラベルの中央には、赤い五稜星のマークが輝いています。これは明治五(1872)年に制定された開拓使の戦艦旗章に由来しており、開拓使の庁舎にも掲げられていました。今日に続くサッポロビールの星のマークは、中川清兵衛以来の百四十年の歴史があるのです。
風味爽快ニシテ
開拓使麦酒醸造所のビールが政府高官などに贈られるときには「別単」または「片単」と称する取扱説明書が添えられていました。
原料の麦は米国種であること、醸造技師はベルリンで麦酒醸造免許を得た中川清兵衛であること、当時の日本に多く輸入されていた英国のエールではなくドイツ流のラガーであること、冷蔵保管がのぞましいことなどが記されています。
発売後の片単には、味の説明として<風味爽快ニシテ>という一言があります。
今日、サッポロビールが新潟県限定で販売している「風味爽快ニシテ」というビールのネーミングはこの片単に由来しています。つまり、与板出身の清兵衛の思いを今日に伝えるネーミングなのです。
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