中屋 庄兵衛(なかや しょうべえ)
(1818年~1860年)
文政元年長岡市脇野町に生まれ、18歳のときに会津若松におもむき鋸鍛冶中屋重左衛門に弟子入りし、弟子の中でも優れた人物と言われた。
天保13年に郷里脇野町に帰り、鋸鍛冶を開業し、弟子の養成に努めた。
庄兵衛が養成した4人の弟子達の系譜をたどれば、現代に至るまで長岡・柏崎・関原・出雲崎の鋸鍛冶はほとんどこの門下に属し、この系統に属する同業者は、県内のほか北海道や関東など各方面に散在し、その数500名を越えていると言われています。
安政6年42歳で没されました。
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