(1805年~1873年)
長岡藩御用鋳物師で、与板・三条・新潟・村上の鋳物師の触頭(総元締め)を務めた。
幕末に長岡藩の求めに応じ大砲や砲弾の鋳物にあたった。
(1825年~1892年)
佐久間象山に学び、ペリー来航の際は幕命により浦賀に偵察に赴いた。
戊辰戦争では軍事掛として各地に転戦。戦後は長岡藩大参事として藩士家族の救済と産業の復興にあたった。
長岡復興の恩人。
●まんがふるさと長岡の先人「三島億二郎」(YouTube)
(1839年~1910年)
三島億二郎らと「ランプ会」を開き、第六十九国立銀行の設立に参画し、後に頭取を務めた。
製糸業・製油業・鉄道事業にも携わり、長岡を復興に導いた町民側の代表的人物。
(1855年~1918年)
紡績業を営んだのち石油事業に着手、明治26年宝田石油会社を創設し、日本石油と並ぶわが国二大石油会社に育てた。
「令終会」を興し、悠久山を整備した。
(1863年~1927年)
東京職工学校(現・東京工業大学)の受験に時計の遅れで失敗したことで奮起し、液体電池を使った正確な時間の電気時計を創案。さらに研究を重ね、世界で初めて持ち運びにも便利な乾電池を発明し、軍用電池として大成功を収める。その業績が近年見直され、2014年「米国電気電子学会マイルストーン賞」が授与された。